私の日中友好活動歴は約50年になりますが、我国にとって日中友好は極めて大切であると教えてくれたのは日中交正常化共同声明が発出された翌年、1973年日中友好協会正統本部・北信越五県友好訪問中国の一員として初訪問中したときでした。
その頃は、まだ日中航空協定が無く、香港経由で入国、深圳から広州、上海、北京、長春瀋陽、鞍山等20日間の日程で、この間、当時の廖承志中日友好協会会長た容人を含め、各界・各層の方々と会見・交流を行い、友好を深めました。
訪中団は出発前に日中友好協会本部職員から訪中の意義や注意点など説明を受けましたが、昭和ヒトケタ生まれお団員が多く、軍国時代の日本が中国を侵略・甚大な被害を与えてきたことを知っておりそれだけに訪中団を迎える中国側の対応が大きな関心事でした。
ところがである、行く先々で黒板に”熱烈歓迎”と見事な色彩で書かれ、どの交流会場でも名実ともに熱烈な歓迎を受けたのです。
「日本とは過去に不幸な時期があったが、これからは両国人民が手を握り、子に孫に、世々代々ゆるぎない信頼と友好関係を築いていかなければならない」と述べ握手を求めてくるのです。少なくとも私の頭の中は白くなりました。訪中団は、毎夜、その日の総括と明日の日程の打ち合わせ、更に共同声明の学習を行っていましたが、その中で同声明第五項「中日両国民のために日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する事を宣言する」と記されていることに、団員一同、中国の心の広さ、深さに驚き、過去を知る者にとって頭を下げざるを得ないと思ったのです。
これについては、共同声明発出後北京にて当時の大平外務大臣が記者会見を行い謝意を表しています。
私は中国建国70年のうち50年中央・地方で友好交龍を重ねてきましたが、中国の発展は身を見張るものがあります。中国の更なる発展とともに日中友好の限りなき発展をお祈りしています。